アメリカには日本よりも多数の旧日本軍の戦闘機が今でも大切に保存されています。
そしてここシアトルの「Museum of Flight」でも、著名な陸軍の戦闘機である一式戦闘機『隼』が飛行可能状態で展示されているのです。
今回はこの『隼』の様子を見ていきたいと思います。
前回までの様子:
その1:【博物館】シアトルにある世界最大級の博物館『Museum of Flight』訪問レポ:現代航空機編
その2:『シアトル航空博物館』訪問レポその2:宇宙コーナーも超充! プロトタイプスペースシャトルやX-20も
その3:『Museum of Flight』訪問レポその3:月面に残された写真と人形とは! 宇宙コーナー後編
その4:【博物館】「Museum of Flight」その4 : WW1の飛行機ギャラリー。ベルグ戦闘機と実物大ジオラマは必見!
その5:【博物館】『Musum of Flight』その5 : WW2の傑作飛行機たちが勢揃い! 保存状態も良好
展示されているのはキ43三型甲
隼は中島飛行機によって開発、立川飛行機によって主に製造された陸軍の主力戦闘機でした。
主に南方及び中国さらには本土防衛の為、北のクリル諸島の戦場で活躍したため、塗装のバリエーションも多いです。
旧日本軍としては零戦につぎ最多の生産数を誇った『隼』には主に3つの型があり、この機体は最終型の三型。最高速度などが向上しています。
この機体は千島列島の占守島から回収した4機の一式戦の一つで、残骸から取得した部材に新造した部品を加えてリプロダクションし、飛行可能になったものです。
詳しくは博物館の紹介を御覧ください。
Nakajima Ki-43-IIIa Hayabusa "Oscar" Reproduction
博物館の一角に、日本の航空機コーナーが設けられており、当時の社会状況なども観察することができます。
戦争末期、隼は特攻隊にも用いられました。
アメリカの多くの戦争博物館で見られる、米兵が「戦利品」として戦場から持ち帰った日の丸も、この博物館では展示してあります。
祈武運長久 貫徹 特攻魂などと書かれており、当時の見送った人々の気持ちが伝わってきます。
日本軍のパイロットスーツや拳銃なども展示。
南部十四年式拳銃です。
実際に見てみても、本当に小さな銃です。
一方アメリカの拳銃M1911A1は重く、大きく見えます。
隼は多くの日本人エースパイロットを生み出しました。
ここでは篠原弘道と森岡豊が紹介されていました。
なんと近くの博物館にもう一機の『隼』が!
シアトルはワシントン州に所在するのですが、同じワシントン州内にはもう一つ『隼』を収蔵する巨大航空博物館があります。しかもこちらは完全オリジナル。
その博物館とは、ご当地マイクロソフトの創設者の1人ポール・アレンが設立した『Flying Heritage Collection』。
場所はシアトルから少し離れたエベレットというところですが、シアトルから車で30分程度の近距離にあります。是非、この博物館のついでに訪れてみては如何でしょうか。
公式サイト:http://www.flyingheritage.com/
一方、日本と戦った国民党の機体も展示
中華民国の機体として日本軍と戦ったのは、レンドリース法によりアメリカから中華民国に与えられたカーティスP-40Nウォーホークです。
この機体は残存する機体の中でも特に飛行時間が短く、60時間程度しか飛んで内容です。
(ペイントは中華民国使用ですが、実際には中華民国には行っていません)
Curtiss P-40N Warhawk
「オライリーズ・ドーター」と機首に書かれていますが、これは当時米軍内で流行していた酒の席での詩だそうです。
如何にも米軍らしい陽気な歌です。
中華民国軍のパイロットの所持品も展示。
軍票や、南部十四年式拳銃が展示されているのが興味部会です。
この様に、日本軍の存在を日本以上に強く感じる事ができるアメリカの博物館。
日本では完全に忘れ去られてしまったようなことも、今でもしっかりと目の前にある事実として認識することが出来ます。
と、ここでこの博物館の内部の紹介は一旦おしまいです。
しかし!!!
時代とともに飛行機はどんどん大型化。
ボーイングといったらアレしかありません。
そう、747。しかし大きすぎて中には収まらず、屋外展示されています。
さらに!!
あのやり過ぎてしまった怪鳥・コンコルドも屋外展示されています。
ということで次回は屋外展示特集です。
【博物館】「Museum of Flight」その6: 占守島から蘇り、シアトルにて眠る一式戦闘機『隼』
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