【バイコヌール現地レポ】その1:ソ連の宇宙開発とは何だったのか



2013年冬、筆者はモスクワのシェレメーチエヴォ国際空港に降り立った。無口なイミグレを抜け、ターミナルを出ると夜のモスクワの冷たい風が顔を撫でる。空港には迎えの車が待機していた。そのままモスクワのマリオットへ向かう。無論、モスクワは初めてだった。 そして今回の旅の目的は、若田宇宙飛行士が搭乗するソユーズの打ち上げを見ることだったのだ。








この記事では、筆者がこのサイトを立ち上げるきっかけとなったロシア及びカザフスタンでの貴重な経験を主に取り扱う。忙しさに身を任せ、気づけば4年の歳月が経ってしまっていたが、その思い出は依然として強烈に脳裏に焼き付いている。今回やっとの事で記事化することを決意。いち日本人が見たロシアの光景として、何らかの形で読者の参考となれば幸いである。


今回の旅ではロシアの宇宙開発に接する事となるが、そもそも現在のロシア宇宙開発の土台となったソ連の宇宙開発とは一体どのようなものだったのか。勿論、そのような壮大な話題はハードカバー数百ページでも収まるものでは無く、ただ純粋にロシアへ経つ前にふと心に浮かんだ疑問だった。人類で初めて人工衛星を打ち上げ、人間を打ち上げ、月に車を飛ばし、ミールを海に沈めたソ連。


ソ連末期、厳しい財政環境の中最後まで責務を果たしたロシア人科学者たち。数々の天才が現れ、輝かしい業績を残してきたソ連の宇宙開発。
実際に見てきた感想としては、実はそこまで意外なものではなかった。

とにかく「圧倒的」。そして唯一無二。

日米双方の主要な宇宙開発拠点は見てきたが、そのどれとも異なる独特の世界は見るものを純粋に圧倒する。



次回以降、出来るだけ何処の組織にも属しない筆者の「個人」視点で、ロシア宇宙開発環境についてお伝えしていきたい。



参考文献
ソ連科学アカデミー:ソ連でも特に優遇され、特別な配給などがあった模様。さらに各国の科学者を受け入れるなど、なかなか人的交流も活発だったようだ。それでもソ連末期になると、さすがに給与面などで西側諸国と差がでてきた模様。 http://moskva.racco.mikeneko.jp/ippi.html

そもそもソ連とは何だったのか。創始者レーニンの弁を見てみる。
http://www.mcg-j.org/mcgtext/MEL/lenin/lenin.html


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